死ぬまで負け続ける

 明日からバラエティを離れて報道の現場に行く。

 3月のアタマに会社の定例ミーティングでぽろっと「会社辞めたいと思ってます」と言ったことがきっかけになった。それで、上司と面談して「何かもうわからないです」と話したらたまたまコネクションがあって行くことになった。

 バラエティの特番でそこそこハードに働いていたところにポカッと穴があいて、「やっぱりまだテレビをやる理由わかってないじゃん」と気付いた。前の会社を辞めて約2ヶ月間ボーっとして、急に躁気味にガーッとまた面接受けて入社してここまで来たけど、やっぱりこれをやりたいと思えていない。

 番組作りするみなさんが何をおもしろいと思うのかわからない。みなさんがおもしろいと会議で言うことが、俺にはどこがおもしろいのかさっぱりわからなくて、そんな中で「あの人達はこれをおもしろいと思うかなあ」と思って色々やってみてもやっぱりおもしろいとは思ってもらえない。わからない。笑えない。

 言われた通りにやることは得意で、細かい作業もまあまあできる。でも、そこでおもしろさを基準とした裁量を与えられると、途端にどうしたらいいかわからなくなる。なんで俺のやったこれがおもしろくないの?

 どんどんどんどんどんどん笑えることが少なくなっていく。そして、俺の笑えることが少なくなればなるほど、俺の思う「おもしろい」とみなさんの思う「おもしろい」が離れていくんだと思う。でも、もうどうしようもない。もはや俺にはバラエティの仕事が、知らない国の言葉で書かれた指示書を読んでやる作業としか捉えられない。

 努力を続ければとか、くじけなければとか、そんな精神論でなんとかなるレベルでもない気がする。おもしろいことをやるとかおもしろいことを考えるとか結構自信があってそれくらいしか自分には取り柄がないんじゃないかと思っていたけど、どうやらそれも違ったみたい。潜りすぎたのか裏に裏にいこうとし過ぎたのか、「おもしろい」に対するズレがあまりにも大きいと感じる。寂しいけどもう折り合いも取り返しもつかないんじゃないか。

 そんな俺にはもうバラエティのみなさんがおもしろいと思う「おもしろい」に関わることをやる自信がないので、報道に行ければとなりました。報道なら、観ている人に必ずしもおもしろいと思われなくてもいいでしょう。それなら俺にも関われる気がします。それでいて、おもしろい素材に触れる機会もあるかもしれない。昨年で言うところの佐村河内、小保方、野々村。そうそう滅多にないだろうけど、ああいう素材に近いところで働いて、それで得られるものがあればと思っています。この先どうなれるかはわかりませんが、まだギリギリのところで自分の「おもしろい」は捨てません。森達也が佐村河内のドキュメンタリーをやるそうです。