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ここまでの人生のあらすじです。の続き 仕事を辞めた その2

 仕事を辞めた経緯についてまた書く。

 前回の文章では、主にADとして行った業務内容について書いた。今回は、もう少しその中身について書いていこうと思う。

 辞めることを決めたのは日テレの番組だった。他の局のことはよく知らないけど、日テレのバラエティ番組は複数の制作会社が縦割りで制作することが多い。ある週はA社、次の週はB社、その次はC社…といった形。自分が最後に就いた番組もそういう形を取っていて、3社でローテーションを回していた。さらに各社に2人ずつ本編の編集を担当するディレクターがいて、それに対応して基本的に会社ごとに2チームを作って制作にあたっていた。ここまでまとめると、例えばA社の①チーム→B社の①チーム→C社の①チーム→A社の②チーム…といった形でローテーションを回していく(こんなにきれいに回ることはなかったけど)。

 と、書いたけど、実際はそうじゃなかった。というのは、自分が勤めていた会社だけ2チーム体制をとれなかった。人員的には本編担当のディレクターが2人、サブ出し担当のディレクターが2人、ADが4人いた。しかし、本編担当だけ交互に回を担当し、それ以外の人員は常に総動員だった。なぜそんなことになっていたかと言うと、単にADの能力不足。それも、本当に色々な能力の。

 自分が配属された段階でのAD4人の経歴は、6年目、2年目(自分)、半年、1年目(新人)で、自分を除いた3人は女だった(どうでもいいけど)。業務がハードですぐに辞めてしまったり新人育成の異動だったりでこの番組のADは出入りが激しく、自分が入った時点で戦力として考えられたのは6年目のADだけだった。他2人に関してはリサーチを振るにしても全然的外れなものしか上がって来ず(いくらやっても意味ないレベル)、正確性を求められる作業、編集なんかはとてもとても任せられないと思った。(余談だけど、6年目のADは基本的に帰らず仕事をやるスタンスで、昼間はうとうとして仕事が手につかず、夜になってようやく仕事を始める。後輩からすると、先輩が帰るまでは帰れない雰囲気があった)

 そういった見方はディレクターからしてもおそらく同じで、仕事の進め方としては、とりあえずディレクターが6年目に仕事を振って、それを4人のADでやりくりして成立させろ、みたいな形だった。ここで、もし信頼できるADが6年目の他にもう1人いたら、それぞれの本編担当ディレクターがADを振り分けて仕事を振ることもできたはずだけど、なかなかそうはいかなかった。そういうわけで、ADは常にフルで動いていた。常に2放送回分の動きをしなければならなかった(他社では、社内でチームを分けられたために、割ける人員は少ないながら1放送回分の仕事に専念できた)。

 そういった状況に置かれて、まず自分が考えたのは本編担当ディレクターに直接仕事を振ってもらえるように、信頼を勝ち取りたいということ。社内で2チームを作れば今より仕事を楽に進められるはず。だから、とにかく隙があれば本編担当ディレクターの目につくところで動いていた。あとは、サブ出し担当ディレクターからでも6年目からでも、振られる仕事はとにかく丁寧に正確にやっていた。さらに、下に振るような仕事でも手の回る範囲で自分から引き取ってやるようにしていた。他のADが夜に寝てしまい、手付かずになった仕事を寝ずにやることもしばしばあった。

 そうこうしている内に頭がパンパンになっていった。他のADが「どうせ(俺)がやるから」という安心感で手を抜くようになってるんじゃないか、一旦6年目やディレクターから引き取り始めた仕事が雪だるま式に増えていったらそう遠くない内に押しつぶされるんじゃないか、そんなことを考えていたら正気じゃいられなかった。

 「もう無理」と思った夜があった。番組に配属されて2ヶ月。連日ロケにつぐロケで寝られない。ロケの素材をデジタイズしてデータを整理しつつ、翌日朝7時に出発するロケの準備もしなければならない。そんな状況の時に、他のADは3人ともぐっすり寝てしまっていた。「もう無理」とADのLINEに送った。急に、なんで自分がこんなことをしているのかわからなくなり、やりたくないことしかやってないんじゃないかと気付いた。「なんでこんなことやってるんだ」と。この仕事に就いてから、初めて悟った。それでも、仕事は成立させなければならない。その頃、心理的にはロケ後の機材の片付けも翌日のロケの準備も任せられないくらい下のADを信用できなくなっていた。しかし、少しでも眠る時間を確保するため、下のADがふと起きたときにロケの準備を頼んで少し仮眠を取った。ロケの出発時刻直前に目を覚まし、下のADが準備したロケの機材を持ってロケに行った。失敗だった。最終的に自分がちゃんと確認しなかったのが悪いけど、カメラのバッテリーが全くなかった。料理のインサート撮影で、店側に決められた時間があったのに撮影が滞ってしまった。めちゃくちゃ焦って近くのカメラ屋に頼み込んでバッテリーを借りることでなんとか撮影はできた。ディレクターに怒られて、一端家に帰るように言われた。家に帰って6時間ほど寝た。目が覚めたら「もう全部嫌だ」としか思えなかった。そして、「辞めよう」と思った。

 一度辞めることを考えたら、もう止まらなかった。体力的なしんどさがそのきっかけではあったけど、もう本当に辞める理由っていうのがもやのように無数に出てきて、ある条件が改善されたら撤回する、みたいなことも考えられなくなった。辞めることしか考えられなかった(また書くと長くなりそうだけど、ディレクターになったところで、ただただ上の要求に従って減点しないように仕事をする自分の姿が見えたっていうのもある)。

 密着企画が増えて負担が大きくなり、会社として労働条件や予算の関係で番組を続けるかどうか話し合う機会が設けられた。そこで、スタッフが番組を続けたいかどうか話す中で、自分はそんなこと全く考えられなかったので「真剣に辞めようと思っています」と告げた。なんかウケた。

 すぐにプロデューサーを通して、人事担当のエラい人に辞めたい旨が伝わった。エラい人によると、「忙しすぎてわけがわからなくなってるだけ」とのことで考え直すように言われた。また、番組を異動して続けないかという条件も出された。でも、やっぱり辞めることしか考えられなかった。そこからエロい店に連れて行かれそうになったり一週間に一度話しあおうと持ちかけられたりして、2ヶ月ほど決定まで時間がかかった。その間、やはり辞めようという意志が薄らぐことはなかった。

 辞める直前になって2つ嬉しいことがあった。

 1つは、放送回を担当できるようになったこと。最初に掲げた目標が叶い、ディレクターから信頼を勝ち取れたのか本編担当のADとして就くことが出来た。その放送回では6年目を差し置いてADのスタッフロールのてっぺんに自分の名前が載っている。

 もう1つは、企画会議に出した自分の企画がウケたこと。不定期にAD・APが出席する企画会議が開かれる。そこに毎回出席していたのが、ここにきてようやく花開いた。部長から、「お前の企画書、清書したら局に出してやるよ」と言われた。これで何かしら自分の気持ちにケリがついたというか、もしかしたらこれが何か次に繋がるのではと思えた。

 それで8月末に仕事を畳んで、9月を丸々有給消化。10月からはまっさら。そうして今に至る。

 一応、仕事を辞めた経緯については以上。